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五島市の教会群
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解説文:泉 松市 先生著   

01- 江上教会 (奈留地区)

  外海から移住した4家族が拓いた地に明治39年(1906年)に教会が建った。現教会は大正7年(1918年)鉄川与助によって建設されたもので、重層切 妻の木造建築。内部は3廊式床に漆喰仕上4部割りリブ・ヴォールト天井、円頭アーチの両引窓である。貫にも繊細な彫刻が施されてい る。内部の空間構成をそのまま立正面に表したもので木造教会の代表的なものといわれる。
                            (平成20年4月 国の重要文化財指定)

02- 南越教会 (奈留地区)

大 正11年 (1922年)に葛島から移住した人たちによって教会が建った。それまでは僅かな信徒だったので江上や葛島教会に船で通っていた。旧教会の老朽化のため、 昭和32年(1957年)現教会が建てられた。単層切妻の木造建築で、内部は平床、平天井、方形引違窓の簡素な造りである。葛島教会は住民の島外移住で 昭和48年廃堂となった。

03- 奈留教会 (奈留地区)                               奈 留教会HP→http://www9.ocn.ne.jp/~catholic/

外 海から移住した人たちは、島の各地に散在して居着いたため、禁教令が解れて各地に教会が建っても葛島や江上教会に船で通うか、各集落で祭壇を設けてミサを 行っていた。大正末期に宿輪に教会建設の動きが起ったが、布教のため中心部が望ましいとして、大正15年(1826年)に相浦教会が建った。現教会は旧教 会が台風で破損したため、昭和36年(1861年)コンクリート造りとして建設された。正面に4角の鐘塔と尖塔が建つ。32年から奈留教会と呼ばれてい る。

04- (旧)五輪教会 (福江地区)

明 治14年(1881年)に建立した浜脇教会の立替えに当たって、昭和6年(1931年)に現在地に移築された。五島最古の教会で、当地田ノ浦の平山亀太郎 棟梁の施工。木造単層屋根で、3廊式 床に板張8分割りリブ・ヴォールト天井、尖頭アーチの引分窓など初期教会の建築様素を備え、創建時の形態がよく残されている。正面に「天主堂」の文字がか すかに残り、最果ての地にあって数戸の信徒が祈り伝えている教会である。
         (国指定の重要文化財)

05- 牢屋の窄教会 (福江地区)

明 治初年の五島崩れの代表的な地に建つ教会。構内には42名の殉教者の一人ひとりの氏名・年齢・残された言葉が記された碑が並ぶ。また牢屋跡が残りわずか 2×3間(6坪)の小屋に幼児から老人まで約200名が8ヶ月にわたって押し込められた悲惨さを偲ばせる。現教会は昭和59年 (1984年) に改築したもので、木造単層屋根に平床・平天井の簡素な造りで、堂内に牢屋の広さが表示されている。また教会裏には監視台の碑も立っている。現在は過疎化 によって赤仁田、細石流、永里の教会が統合されている。
浜脇教会

06- 浜脇教会 (福江地区)

明 治14年(1881年)久賀島最初の教会として建設されたが、手狭になったため昭和6年(1931年)五島最初のコンクリート造りとして建設された。田ノ 浦瀬戸を望んで尖塔が聳えている。重層屋根の正面の鐘塔は上部が八角形の尖塔である。3廊式床に8分割リブ・ヴォールト天井の洋風建築で、平戸や三浦町教 会と同じ年次の教会である。旧教会は五輪地区に移設されている。

福江教会

07- 福江教会 (福江地区)                            福江教会HP→http: //www15.ocn.ne.jp/~mikokoro/

明 治初年のキリシタン検索では一人の信徒もでていないが、禁教令の解除後島の中心地として信徒が 増え始め、大正3年(1914年)に旧堂崎小教区から分離して教会が建った。現教会は昭和37年(1962年)に建築された島内最大のコンクリート造り で、建築後間もなく市街の中心部を焼き尽くした「福江大火」に見舞われたが、火を防ぐ役割を果たし下手は焼失をまぬかれている。内部は平床に屋根に沿った 天井で、ステンドグラスもない簡素な造りである。島の中心教会として諸行事が営まれ、修道院・養護施設・病院が近くに設置されている。
浦頭教会

08- 浦頭教会 (福江地区)                             浦頭教会HP→http: //lifeaidgoto.jpn.cx/simanohikari/

大 正10年(1921年)鉄川与助の設計・施工で、五島崩れの牢屋跡近くに旧教会が建ち平蔵教会と呼ばれた。五廊式床に折上天井の木造教会であった。現教会 は昭和43年(1968年)に竣工。コンクリート造りの単層のルーフ。内部は平床・平天井・方形片引窓で船を連想させる。創世記「ノアの箱舟」に由来す る、信仰の復活を讃えるものという。近くに修道院や保育園に次いで、明治13年(1880年)に大泊に創設され、堂崎、石山を経た児童福祉施設「奥浦慈恵 院」が平成18年(2006年)に移設されている。
堂崎教会

09- 堂崎教会 (福江地区)

五 島の中心的教会で、信仰の発祥の地である奥浦地区に建つ。26聖人の一人ヨハネ五島の記念聖堂で聖骨を祀る。禁教令が解除された明治6年(1873年)9 月、大浦天主堂からフレノー神父がこの地に着任し宣教に努めた。明治10年に着任したマルマン神父が明治13年教会を建設し、次いで大泊から子部屋(後の 慈恵院)が移された。現教会はペルー神父によって明治41年(1908年)に教 会様式を整えた煉瓦造りとし竣工された。施工は野原与吉棟梁で鉄川与助も参加している。現在は資料館として使用されており、堂内には布教時代から迫害を経 て復活に至る信仰の歴史が展示されている。なお「カクレキリシタン」の資料が数多く収集されているのも珍しい。

宮原教会

10- 宮原教会 (福江地区)

明 治18年(「1885年)民家を改造して教会とした。信徒が少ないため維持に苦労していたが、昭和46年(1971年)に大改造して現在に至っている。木 造単層屋根に平床、平天井、方形引違窓の簡素な造りである。かつては「カクレキリシタン」が4クルワあったが、現在1クルワに纏められ、117のクルワが 存在した五島で信仰組織が残る唯一の地域である。
半泊教会

11- 半泊教会 (福江地区)

福 江島の北端に数戸ずつ散在していた信徒たちの労力や神父の努力と、アイルランドからの浄財によって建てられた教会。鉄川与助の作と言われており、用材も上 五島の神浦から運ばれ、大正11年(1922年)、3年の工期を経て完成、献堂された。その後信徒たちは台風や瀬戸の風波から守るために、海岸の石を集め て石垣を築いた。単層屋根に3廊式床、折上天井に方形引違窓をステンドグラスが彩る。現在3戸で維持されている。
水ノ浦教会

12- 水ノ浦教会 (岐宿地区)

明 治13年(1880年)に創建。その後、昭和13年(1938年)に現教会が建設された。鉄川与助の最後の作品とされ、木造教会では最大規模で、青空にた たずむ白亜のコントラストが美しい。鉄川与助の作品らしく、3廊式床に4分割りリブ・ヴォールト天井の様式をとっており、木造重層屋根に8角 形の鐘塔と尖塔が聳える姿は大浦天主堂と見紛うばかりである。堂の右手の丘に「十字架の道行」のリレーフが続き、ヨハネ五島の像に至る。
近くに五島崩れの牢屋跡がある。
楠原教会

13- 楠原教会 (岐宿地区)

明 治45年(1913年)に献堂。鉄川与助の設計、施工。煉瓦造り重層屋根の3廊式床、4分割リブ・ヴォールト天井で、尖頭アーチ窓のゴシック様式である。 構内にファチマの奇跡のコーナーが設置されている。建設に当たっては信徒たちが川原から2K余の道を資材を運ぶなどの労力奉仕に努め、子供たちも学校帰り に煉瓦を運ぶことを日課にしたという。寛政9年(1797年)に外海から居着いた代表的な地域である。近くに五島崩れの牢屋敷跡がある。
打折教会

14- 打折教会 (岐宿地区)

三 井楽半島の対岸の入江に建つ教会で京岳を背景に湾曲する白良ヶ浜の景観を楽める。明治時代に集落の裏山の中腹に建てられたものを、昭和49年(1974 年)に現在地に移して改築した。木造単層屋根の平床、平天井で、方形引違窓の簡素な造りである。緑と青の中に白亜の建物が鮮やかである。
三井楽教会

15- 三井楽教会 (三井楽地区)

こ の地は寛政の居着に先立つ安永5年(1776年)大村領から、さらに遅れて天保5年(1834年)浦上から居着いた人々によって拓かれた。明治13年にゴ シック様式の木造教会が建てられたが、老朽化のため昭和46年(1971年)コンクリート造りのモダンな教会が建てられた。祭壇部から扇形 に広がった単層屋根に、外壁は島内から採集された貝殻でモザイクの聖画が描かれている。また堂内には地元の人達によって、「十字架の道行」や「地域の信仰の歩み」がステンドグラスでオリジナルに描かれている。
道を挟んだ山手に、五島崩れの牢跡がある。

貝津教会

16- 貝津教会 (三井楽地区)

寛 政年間に外海から居着いた人達の一部が、禁教解除後も「隠れ衆」と呼ばれて点在していたが、大正10年(1921年)に申合わせてカトリックに復帰し、大 正13年(1924年)に教会を建立した。 現教会は、昭和6年(1931年)に一部改造され、単層屋根で3廊式床に平天井で高窓を備え方形窓である。両側の窓のステンドグラスが精緻で特に左窓から ステンドグラスに夕日が射した彩りは神秘的である。

嵯峨島教会

17- 嵯峨島教会 (三井楽地区)

平 家滅亡の折、京都嵯峨野の貴族が拓いた島に建つ教会。先住者の元原に対して、寛政9年(1797年)後、大村領から居着いた信徒たちが竹林を拓いて住みつ いた竹原の地に建つ教会で、大正7年(1918年)に献堂された。山ろくを拓いた地に建つ木造単層屋根に3廊式床、平天井、方形片引窓の簡素な造り。祭壇 部は崖に面するため、玄関に設けた円形アーチのステンドグラスが夕日に映え美しい。
井持浦教会

18- 井持浦教会 (玉 之浦地区)

明 治28年(1895年)に五島で初めての煉瓦造りのロマネスク様式の教会として献堂されたが、昭和62 年(1982年)の台風で倒壊した。翌63年コンクリート造りの教会として改築された。外面はタイル張りで、内部も平床、平天井の造りである。構内に明治 32年(1899年)に造成された日本最古のルルドがある。これは島内各地の信徒が寄岩、寄石を運び入れて造成したもので、ルルドの秘跡の水を運び入れた ものである。
玉之浦教会

19- 玉之浦教会 (玉 之浦地区)

他 の地区からの移住者の増加によって昭和37年(1962年)に町の中心部に建立された教会。玉之浦湾に面して尖頭が聳えている。木造の単層屋根に切妻の玄 関が張り出し、内部もジュータン張りの平床に平天井の簡素な造り。明治初年のキリシタンの検索では2戸8名の信徒が出ているが、禁教令解除後3教会が建っ ている。現在2教会であるが過疎化もあって信徒数は少ない。
繁敷教会

20- 繁敷教会 (富江地区)

地 名をとって山ノ田教会とも呼ばれ、山深い高地に建てられている。寛政の居着で大村領から移住した木場田一家は戸岐半島の福見に居着いたが、風波がしぶく磯 辺では居住も困難で、山内盆地を経てさらに現地を開拓したもの。のちに、繁敷地区にも信徒が増えたので、大正15年に礼拝堂を設立した。現教会は昭和48 年に建てられもので、木造単層屋根、平床、平天井の簡素なものである。信徒の先祖は明治の五島崩れで家を追われ入牢した過去もある。
おじいちゃんが建てた教会

長崎県を中心に多くのカトリックの教会堂建築を手がけた、鉄川与助(明治12年1月13日 - 昭和51年7月5日)氏のホームページです。(お孫さんが作成されています。)
五島市では、堂崎教会・楠原教会・江上教会・細石流教会(消失)・平蔵教会(現浦頭教会に建替)・水ノ浦教会を手がけています。

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