富江溶岩トンネル「井坑」 (富江地区)
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太古の昔、火山の爆発によって流れた溶岩が冷えて固まっていく時、固まりきれなかった中心部が流れ出してできたのが、溶岩洞窟です。大小17-18個が発見されていますが、最大のものがこの「井穴」です。
総延長1,420メートルの日本有数の規模を誇り、対岸の黄島まで繋がっているという伝説もあります。
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勘次が城(山崎の石塁) (富江地区)
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13-16世紀に中国大陸や朝鮮半島沿岸を荒らし回った倭寇の根拠地の遺跡です。
火山礫で構築された砦状の遺構で、後に勘次という大工が住んだと言い伝えられたことから勘次ケ城と呼ばれています。
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只狩山展望所 (富江地区)
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富江半島の中央にある只狩山(84m)の山頂にある展望所です。富江湾の島々や鬼岳、また玉之浦大宝から連なる海岸と、水平線まで広がる五島灘の大海原を遠望出来ます。
春にはソメイヨシノ300本が見事な花を咲かせ、多くの花見客が訪れます。
展望台近くには、新田次郎が富江のサンゴを題材にした小説「珊瑚」の記念碑も建っています。
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日本の灯台50選「大瀬崎灯台」 (玉之浦地区)
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●大瀬崎灯台
幾星霜ものあいだ、東シナ海の怒濤の波により海蝕を受け、荒削りした彫刻のような断崖が、高さ150メートル長さ20キロメートルにも及ぶ。
その突端の岩石を切り落とし、その上に大瀬崎灯台が建設されている。英人Rプラトンの設計で初点灯が明治12年12月15日。現在のものは昭和46年改築
したもので、光力は200万カンデラ光達距離は約50キロメートルと日本屈指の燈台である。
日本の灯台50選、日本の夕陽100選に選ばれている。
●みどころ
駐車場から灯台までは約1km。急な坂道であるが整備されていてウォーキングに最適。9月には、知る人ぞ知るハチクマの渡りが見られる。
また、毎年大晦日に、東シナ海に沈む、1年最後の夕日を眺め、行く年に別れを告げるイベントを実施している。手打ちそばの無料提供、鑑賞記念証の発行、最後の手紙の受付も行い賑わっている。 |
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日本最初のルルドがある「井持浦教会」 (玉之浦地区)
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●井持浦教会
200年にも及ぶキリシタン迫害に耐えその信仰を守り伝えた五島のキリシタンたちは、1873年にキリシタン禁制が解かれると、各地に教会堂を建てた。こ
こ井持浦の教会も当時に創設された教会の一つである。1897年、フランス人宣教師アルベルト・ペルー神父によって煉瓦づくりの教会が建てられたが、90
年目の1987年、台風12号のために全壊し、新築されて現在に至っている。
●井持浦ルルドの聖母
教会創設の2年後1899年に、聖母出現の聖地フランスのルルドを模して井持浦教会脇にルルドの洞窟が造られた。全五島の信者たちが、各地から美石を持ち
寄り、ペルー神父が故国フランスからルルドの聖母像を求めて洞窟に納め、更に本場ルルドの奇跡の泉から霊水を取り寄せて洞窟横の泉水に注ぎ入れた。こうし
て、日本最初のルルドが造られ、以後参詣者が後を絶たない。 |
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西の高野山「大宝寺」 (玉之浦地区)
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●大宝寺
昔、西天じゅく(印度)のマガダコクより不須仙人が来たり、エンブダゴンという金属で鋳造された聖観音像を奉持し、玉之浦の笹海の小丘に祭り観音院と称し
た。その後、大宝元年(701年)震旦(中国)の道融和尚が三輪宗を広めるため来朝、最初に上陸した大宝の浜で、白砂青松の浜を前にし、緑繁る彌勒山を背
後とする聖地を選び、笹海の観音院を遷し三輪宗の寺院を建てこれを大宝寺とした。そして第41代持統天皇の勅願寺となされた。次いで、大同元年(806
年)弘法大師、帰朝の途次、大宝の浜に上陸し暫くここに滞在し、真言宗に改宗した処から「西の高野山」と呼ばれる。(大宝寺縁起より)
●大宝寺の梵鐘
長慶天皇の応安8年(1375年)播州多賀郡西林寺住僧僧信より寄進された寺鐘は、第2次世界大戦中の寺鐘供出にも、古き由緒ある故をもって、全島の内唯一その難を免れた。(長崎県指定文化財) |
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魚津ケ崎公園 (岐宿地区)
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魚津ケ崎は遣唐使船の寄泊地として有名です。
西暦800年前後の遣唐使が五島を経由して中国大陸へ渡るコースを用い、その際、日本最後の寄泊地として魚津ケ崎に停泊し、風待ちをしました。弘法大師空海もここを通って中国へ渡りました。
東シナ海に面し、なだらかな丘陵と荒々しい海岸の対比が大変美しく、キャンプ・スキンダイビングも楽しめます。
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五島家の墓 (岐宿地区)
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宇久五島家第8代覚公は、岐宿進出後、わずか6年で逝去しました。その墓所が「五島家の墓」として金福寺に祀られています。このため、歴代
の五島家藩主は金福寺を「岐宿殿」と敬称しました。弘和3年岐宿に進出した宇久五島家覚公により開創された曹洞宗の寺院です。覚公の死後、菩提寺として葬
られ、現在も「五島家の墓」として境内に祀られています。
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水之浦教会 (岐宿地区)
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水之浦湾の高台に建つ白亜の教会。特徴ある2段式の屋根が青い空に映えてとても美しい教会です。地元水之浦の信者によって、明治11年に着
工され、明治13年に完成しました。名称は「水之浦被昇天天主堂」といい、今も熱心な信者たちにより信仰され、朝夕に鐘が鳴っています。教会の南隣には、
明治7年まで続いたキリシタン弾圧で使われた牢屋の跡も残されています。
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巌立神社 (岐宿地区)
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約600年の伝統を持つ由緒ある神社です。元々は、延暦23年(804年)に空海が、町内の権現岳から、宮ノ小島に祭神を移し、産土神としたのがはじまりです。
弘和3年に宇久覚公が岐宿に進出した際、宮ノ小島から祭神を現在地に移し、岩立三所大権現と称しました。祭神は「田所姫命」「端津姫命」「市杵島姫命」の三神です。
明治3年に「巌立神社」と改称され、毎年9月14・15日には例大祭で神楽が披露されます。
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魚津ケ崎公園 (岐宿地区)
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魚津ケ崎は遣唐使船の寄泊地として有名です。
西暦800年前後の遣唐使が五島を経由して中国大陸へ渡るコースを用い、その際、日本最後の寄泊地として魚津ケ崎に停泊し、風待ちをしました。弘法大師空海もここを通って中国へ渡りました。
東シナ海に面し、なだらかな丘陵と荒々しい海岸の対比が大変美しく、キャンプ・スキンダイビングも楽しめます。
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ユーミンの歌碑 (奈留地区)
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「風がやんだら沖まで船を出そう 手紙を入れたガラス瓶を持って遠いところへ行った友達に潮騒の音がもう一度届くように今海に流そ
う.....」丘の上に立つ奈留高校には、ユーミンこと松任谷由実直筆の「瞳を閉じて」が刻まれた歌碑があります。奈留高校の一女生徒の便りをもとに想い
描かれた歌は、愛唱歌となり卒業生は、この歌に送られ学舎を巣立っていきます。
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前島のトンボロ (奈留地区)
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前島と末津島とを結ぶ帯状の浜。
潮の流れで小石が堆積してできたもので、干満によって景観が変化します。
日本三景の一つ天橋立はこのよい例である。 |
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千畳敷 (奈留地区)
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平坦な岩礁で、畳が1,000枚も敷くことができる程の広さがあると言う事から付いたもので行楽シーズンはにぎわっている。 |
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城岳林間広場・展望台 (奈留地区)
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島の緑、海と空の青のコントラストが美しい360度のパノラマの風景や落日の風景は絶景である。 |
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